矛先、私。
私は、もう、ずっと夜を追いかけていた。
翌朝に私の意識が浮上すると、顔を洗うよりもカーテンを開けるよりもベッドから這い出すよりも何よりも真っ先に、彼の痕跡を確認した。私の朝はそうやって始まる。
隣には誰も寝ていないことを寝返りで確かめた後、ベッドサイドに身を乗り出して靴の在り処を探す。
私には覚えのない派手派手しい紫と黄色のグラデーションの彩色をされた革のドレスシューズが床に寝転がっている。
憐れにも擦り傷のついたつま先の指し示す方向には、脱ぎ捨てられ散らばる衣服、椅子から落ちかけの朝日に偏光するブラウンのジャケット。テーブルの上には、昨日の朝食の汚れが放置されたままのカップの横に車の鍵が見えた。
昨晩はどこへ出かけたのだろう、私はようやくベッドから抜け出し、裸足で姿見の前へ来て自分の姿をすみずみ確認する。
身体をひねって背面も映して見たが、傷も、カラフルな痣も今朝は無いようだ。もっとも、そんなものがあったなら姿見へたどり着く前に気付いていただろうけど。
彼には暴力に縁があって、私もそのとばっちりを食う。
痣や血痕、衣服の破れなどはしょっちゅうで、血まみれのベッドで全身に激痛のモーニングコールで目覚めさせられたこともあった。
その後しばらく、身体中の痛みと顔の腫れが引くまで、彼が私の元へ現れなかったことは、思い返すたび向かっ腹が立つ。
ああ、そうとも、私は、彼に面と向かって文句のひとつも、いや、ひとつで済むものか、山ほども言ってやりたいんだ。
フン、と鼻息荒く振り返って、テーブルの上の車の鍵を拾い上げ、入り口のドアの脇の棚の、私の決めた鍵の居場所へ戻す。くそったれ、どれほど速い車でさえも、彼に追いつき、捕まえることは出来やしないのだから。
下着姿のまま洗面台まで歩いていき、彼の顔を睨む。いいや、これは、鏡に反射する私の顔だ。
彼は夜にだけ現れる私の身体のもうひとりの住人で、彼が活動している夜間の記憶を私は持たない。彼が私から夜を奪い去り、好き勝手に不夜の街を闊歩しはじめてからというもの、その精算や厄介事のすべてを昼の私へ押し付けてくるのだ。
挙げ句、私を嘲笑うかのように部屋に数多くの痕跡を残し、時には行先を指定した手紙をベッドサイドに置いていたことも何度かあった。言うまでもなく向かった先で散々な目を見たが。
そうやって私は昼のあいだ、ずっと彼の行動を追いかけていた。
だというのに、赤く輝く太陽が地平線の向こうへ隠れてしまったら、それで最後。
私は、もう、夜を追い越してしまっている。