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​恋人は向こうからやってこない

 私は、もう、ずっと夜を追いかけていた。

 きっといずれ、追い付くと信じて。

 何故なら、私は、自称夜の女なのだから。

 夜が好き。

 と、いうと少し違うか。好きではない。

 ただ、物心ついた時からずっと、夜が待ち遠しいと考えていたし、夜が来れば夜を満喫していた。包み込むような暗闇が、黒とは違う暗闇が、私に落ち着きと安らぎを与えてくれる。

 落ち着きと安らぎを求めるという事は、即ち持っていないという事で、つまり、その、私は、堪え性がない。

 だからだろう。私は、ある日夜を追いかけ始めたのだ。

 そう、今日から私は自称夜の女。

 手段は色々試した。

 夜を追う上で最大の敵は昼。如何にして、昼を退けるかが問題だ。

 中でも、シンプルだけど、もっとも有効だったのは、昼を眠って過ごす事だった。

 眠っていれば時間は過ぎる。目が覚めればもう夜だ。夜は自由だ。目覚め直後で頭もすっきり。たっぷり十時間以上は夜を楽しめるというものだ。

 しかし時間が経てば、窓から白んだ朝に気付いてしまい、私は決まって肩を落とす。

 また、夜に逃げられてしまった。

 ある日、私は気付いた。

 これでは追いかけていない。待っているだけだ。

 待っているだけの女じゃ駄目だ。

 夜の女を自称する私は、夜を追いかけるべきだと悟った。

 

 開いた悟りを即実行。

 次の週末、私は夜逃げ部屋を作った。

 何を言っているかと思うかもしれないが、要は昼を感じられない遮光部屋。暗室を作れば良いと思ったんだ。

 窓にシャッターが付いている部屋を借りた事はあるかい? 暗幕や遮光カーテンなんて本当にお遊戯だ。隙間をダンボールとガムテープで塞ぐ必要もない。日の光が全く入ってこない部屋は本当に落ち着いた。

 でもそこから一週間が過ぎる頃、気付いてしまったんだ。これは昼夜がわからなくなるだけで、言うなれば昼にも夜にも逃げられている部屋だ。夜逃げられ部屋じゃないか。

 

 夜の女を自称する私は、次の夜を追いかけていた。

 

 ある年、夏の賞与を頭金に、私は車を買った。

 もう先が読めたと思うかもしれないが、その通りだ。頭が悪いと笑うが良い。物理で夜を追いかけたのだ。でも物理的に表現するのであれば、地球上の夜の速度は時速百キロメートル所ではなかった。

 ああ、でも、誤解が無いように、一つだけ言っておきたい。

 私は、断じて、朝に追い付かれてなどいない。

 ただ、この国の高速道路は、夜に追走するには距離が短すぎる。それだけの話だ。

 

 夜の女を自称する私は、次の夜を追いかけていた。

 

 白夜という言葉は聞いた事があるかい?

 そう、一日太陽が沈まず、夜でも明るい現象の事だ。悪夢かな?

 最初にその言葉を聞いた時、私はふと思ったんだ。一日太陽が沈まない現象があるなら、一日太陽が昇らない現象もあるはずだ。と。

 少し調べたらすぐに出てきた。その素敵な私の恋人の名前は、極夜、というらしい。何でも地球の地軸が太陽に対して傾いているから、一日中太陽が昇らない現象が起きるのだそうだ。地軸、いい奴だな。でもこの現象が起きるのは南極か北極の近く、所謂極地と呼ばれる土地のみらしい。

 南極はどうも、他の大陸から離れていて観測基地以外に人は住んでいないようだ。領土権を主張していないのなら私が住んでも何も言われなさそうだけど。……落ち着いて、私は自称夜の女。サバイバルがしたいわけじゃない。人が住んでる北極にしよう。

 車を売ったまま塩漬けにしていたお金を使い、私はノルウェーに飛んだ。

 事前に調べた極夜の時期も逃してない。狙うは冬至。極夜の中の極夜。

 ……。

 ……いや、確かに、太陽は昇ってない。一日中沈んだまま。

 たださ、これ……、微妙に明るくない? 夜なの、これ? えぇ……。

 こんなの、私が望んだ夜じゃない。落ち着かないし安らがない。

 偶然見れた季節外れのオーロラはラッキーだったけど、私は、失意と絶望の底で帰国を果たした。

 そしてすぐ、私は、びっくりする程簡単に体調を崩した。自分が思ったよりも遥かに、自分の体はショックを受けていたようで。私は夜逃げ部屋で三日三晩寝込んだ。

 

 夜の女を自称する私は、もう。

 もう、ずっと。

 ずっと、夜を。

 追いかけていた。

 追いかけていたんだ。

 

 でも。

 この地球上に、私が追いかける夜は、追い付ける夜は、初めから存在しなかった。

 その事実は変わらない。

 体が治っても。

 大嫌いな昼に仕事をしても。

 昼休みに、呆けた頭でニュースサイトを眺めていても。

 衝動的に仕事を辞めても。

 それから数ヶ月経ったとしても。

 その事実は変わらない。

 

 私は、もう、ずっと夜を追いかけていた。

 長い間、ずっと。

 

 今の、私は、もう。

 

 ――ベンチプレスで八十キログラムを達成した。

 え、何故って?

 JAXAの十三年ぶりの宇宙飛行士募集のニュースを見たからに、決まってるじゃないか。

 国際宇宙ステーションなら、時速百キロメートル所じゃない。地球上じゃない。これなら、夜に追い付けるだろう?

 宇宙飛行士には求められるものが多い。

 大学も仕事も自然科学系で本当に良かった。実務経験三年以上はクリアしている。

 さあ、今日はあと下半身向けのトレーニングを二十セット、それから英語のプレゼンの構成検討だ。時間はいくらあっても足りない。

 

 私は、もう、ずっと夜を追いかけていた。

 きっといずれ、追い付くと信じて。

 何故なら、私は、自称夜の女なのだから。 

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