うそつきテ・ポとまいごのよる
私は、もう、ずっと夜を追いかけていた。
かつて旅人に聞いた、夜というものは、とても恐ろしく、しかし優しくもあり、静かなものらしい。
私は、夜というものを、もっと知りたかった。
しかし、親、兄弟、友達、里の者は誰も、夜というものを、聞いた事もないという。
誰も知らない夜は、悲しい。
はたして、夜というものは、本当にあるのだろうか。
不安になった私は、酒の臭いがむすむす漂う裏通りを訪れ、胡乱な連中に夜を聞いた。
騒がしい太鼓叩きも、だらけた歌の詩作りも、しんしんすました笛吹きも、夜なんてものは知らないという。
安心した。
こいつらは、ないものをあると騙るのが、得意だから。
やはり、夜は、あるのだ。
空言を食って生きているような、あいつらが、耳にすることも、思うこともない、夜。
夜は、美しい。
言葉にすると、心が熱くなった。
それが冷める前に、私は、再び夜を追った。
四六時中、粘土を焼く香りがする、学びの街を訪れた。
学生を捕まえ、講堂で問い、教授を訪ね、街中を聞いて周るが、ここにも夜を語れる者はいなかった。
偉い方々も知らない、私だけの、夜。
夜は、尊い。
とても恐ろしく、しかし優しくもあり、静かで、悲しく、美しく、尊い、夜。
ああ、夜よ、お前はどこにあるのだ。
夜を愛する私に、そっと居場所を教えておくれ。
私は、夜を追った。
どこにいるかもわからない、夜を追った。
「森へお行きよ。あの森の丘に棲む、テ・ポなら、知ってるんじゃないか」
拾ったがらくたを、のたのたと動かしてみながら、年老いた兵士が言った。
その名前を聞いて、心がざわついた。
海藻でできた髪、そして、何だって丸呑みできる、カマスのような口のばけもの。
「テ・ポは、この世の誰よりも、先に生まれたんだ。あれは、なんだって知っているさ」
「そんなものに会ったら、たちまち焼かれて、ぺろりと平らげられてしまうよ」
「ここらは、すえた臭いがする。使い古したむしろの香りも、ほら、死にかけの乞食、こもかぶりが、落ちているはずだ。拾ってお行きよ。テ・ポに、それをごちそうすれば、夜とやらを語る間ぐらいは、持つんじゃないか」
こもかぶりだと。
我慢できなかった。
夜を、そんなものと並べるな。
私は、かっとなって、走った。
ささやきあふれる街を抜け、
まっ平な道を通り過ぎ、
羊歯の原を転がり越え、
冷たい苔を踏んで、
そこでやっと足を止めた。
ぬれたキノコの、むんむんした匂い。
テ・ポの棲む森だ。
とうとう私は、夜を追いかけ、森に来てしまった。
恐ろしいテ・ポの棲む、あの森に来てしまった。
テ・ポは、夜を知っているだろうか。
それどころか、テ・ポは、夜を独り占めしているのかもしれない……。
恐ろしい考えだった。
それでも、私はじくじくと、湿った森を進む。
「夜はきっと美しい、夜はきっと優しい、夜はきっと静かだ」
私は、夜に勇気を貰い、体を前へ前へと押し出した。
さらさらの川が、とぷりと流れ込む湖。
せせらぎの音は、上からゆるやかに降りてくる。
「ごちそうだ、ごちそうがやってきた、ごちそうが、自分からやってきた」
私の頭の上から、乾いた風のような声が、降ってきた。
「石の上でじゅうじゅうと焼いてやろうか、鍋でぐつぐつ煮込んでやろうか」
ぱしゃぱしゃ、とんとんという、得体のしれない、空気の響き。
開いたばかりの、いもの花のような、ひどい臭い。
私は、なんてところに来てしまったのだろう。
「お前は、テ・ポがいると知って、ここに来たな。その身を捧げにきたのか」
体が乾き、頭が震える。
この音だけで、心が畏れで染まった。
それでも、私は、立ち向かった。
「教えて欲しい、あなたは、夜を知っているか」
「夜、夜と言ったか!」
テ・ポもまた、声を震わせた。
夜を、知っている。
テ・ポは、夜を、知っているのだ。
「そう、夜だ。とても恐ろしく、悲しく、しかし優しくもあり、静かで、美しく、尊い夜。私は、夜を、愛してしまった」
テ・ポは、黙っている。
「夜を、教えてくれ。それとも、あなたは、夜を、持っているのか。私は、夜が欲しい」
「なんと、なんと……」
今度は、しとりと降る雨のような、声だった。
「それなら、お前は、このテ・ポに、何を払うのだ。お前の、一番大切なものを、言ってみろ」
「それは、子供たちだ」
「お前は、本当にそう思っているのか? そう言わなければならないと、思っているだけではないのか? お前はその子供たちを置いて、こんなところにいるではないか」
「では、私の親だ」
「お前は、善きものの皮を、被っている。ここに来るまでの旅の間、ひとときでも親の事を考えたのか」
「テ・ポよ、わかった。私の大切なものは、夜なのだ。しかし、夜を持たない私は、それを払うことはできない」
「迷い子よ、お前は、もう、夜に包まれておる」
「そんなことはない。私は、夜に触れたことはない、夜の匂いを吸ったこともない」
「テ・ポは、嘘を言わない。お前は、夜と共にある」
「嘘つきテ・ポ。あなたは、夜を、あなただけのものにしたいから、嘘を言っているんだ」
「哀れな」
ばしゃあという、爆音と共に、世界が回った。
ざんざんと硬いものがぶつかってくる。
テ・ポの炎のような声の他は、もう何も聞こえない。
「それなら、お前にも、わかるようにしてやろう。テ・ポの雷を、その腹で受けるのだ。そうすれば、夜がわかるぞ」
私は、逃げた。
こんなテ・ポの夜は、きっと恐ろしい。
恐ろしい夜から、逃げた。
……。
のろのろと去る、哀れな子を見送り、テ・ポは嘆息した。
あの子の願いは、叶わない。
夜しか知らぬ者は、夜を知ることなど、できない。
テ・ポは、しばし、最後に見た夜明けに、遠い思いを馳せた。
仰ぎ見た空には、永遠に沈むことのない、月が、暗く輝いている。